第23回ハイキング会 2020年11月7日(土)
皆さん、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る!!」をご覧になっていますか?
今秋の滋賀県人会のハイキングはコロナ騒動ですべての行事が中止になっていましたが、11月7日
(土)に天下分け目の合戦地「大山崎から勝竜寺城」まで約10kmを実施しました。
天気予報は雨の為、当日欠席で参加者は16名と少なくなりましたが、日ごろの精進の良さか訪れる人も少なく、天気は曇り空で絶好のハイキング日和でした。
当日午前9時30分JR山崎駅に集合、まず「離宮八幡宮」へ参拝。石清水八幡宮の元宮と言われる
神社にお参り、荏胡麻(えごま)で西日本地区の油座になり(国盗り物語で有名になった斉藤道三の平幹二郎を思い出す)経済発展をした大山崎町でした。
大山崎歴史資料館に行き福島館長さんから館内の山崎合戦の模様や古地図や古文書など説明頂いた。
次に高山右近が手柄を立てる為、東国門跡の門を閉めて合戦に臨んだと聞きびっくり。そして今では
高速道路の下にある山崎合戦場の石碑があるだけの「夢ホタル公園」で昼食を摂る。
昼からはサントリビール工場(コロナ騒動が無ければ生ビールを三杯試飲できたかも)の横を通り、光秀の本陣跡と伝えられている境野一号墳と恵解山古墳を探訪、いずれかが本陣跡であっただろうが、
いずれにしても今はその面影はない。しかしながら恵解山古墳は古墳時代中期に築城され全長120mの前方後円墳、三段の標高は16m、幅30m、円濠180mの巨大な古墳で昭和56年に国指定史跡にされている公園なので、一度は見に行く価値はあると思われ、明智光秀が本陣にしたのも頷ける。
次に勝竜寺城公園に行き、二手に分かれボランティアガイドさんに場内を説明頂く。1339年北朝方、細川頼春に築いたとされ、その後松永久秀、三好三人衆の属城であったが織田信長が攻略、細川藤孝が城主となり大幅に改修、犬川と小畑川が合流する段丘部の先端に築かれ、西国街道の要所であり、嫡男忠興が明智光秀の三女玉(ガラシャ)と結婚(二人の石像がある)、光秀は細川が味方と思っていたが、秀吉側に付かれ、この「天下分け目の山崎の戦い」も2時間足らずで秀吉の勝利となり、秀吉は天下を取る節目になった。そこからJR長岡京市駅へ午後3時に無事解散した。
2020年11月11日